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タガメ、再び死ぬ時期について考える

 あのですね、
 先日、新聞のコラムで、
 食事も摂れない高齢者の延命処置を、
 止めていく方向で感謝されてる病院の話をしました。

 そのコラムでは、
 むやみな延命には反対してました。

 命の終わりの時間は、
 医療でずいぶん長く延ばせるようになったのだけど、

 気管切開して呼吸をさせ、
 栄養は胃にあけた穴から注入し、
 本人の意識が無くても、
 コミュニケーションが不可能でも、
 ただ生かし続ける医療には、
 疑問の声をあげる医者もいる
 ってこと。

 患者の家族も、命をただ永らえている家族を見て、痛々しい気持ちになるし、
 もう絶対に回復しない状態で、高齢者が多くの管につながれている姿は、
 私だって正しいのかどうか、
 分からない・・・。



 で、私なら、
 口から栄養を取れず、寝たきりで意思の疎通もできないような状態なら、
 回復の見込みが無ければ、
 死を選びたい。

 私ならそうなんだけど、
 それに対して、例えば、
 こういう状態ならもう延命はしないこと、っていう風に、
 国が方針を変えていったら、
 それも怖いことですよね。



 アメリカなど、保険がほとんど民間の場合は、
 保険会社が介入してきて、長期の延命治療や、高額な医療は待ったがかかることがある。
 
 日本では、
 ホームレスの方でも、入院したら、
 生活保護が始まって、命が続く限り延命治療が続く。
 呼吸器をつけて、
 どんな高額な薬を使おうとも、どんな治療をしようとも、
 全部国が費用を出すことになる。

 となれば、
 回復の見込みのない場合の高齢者の延命は、
 ひどい言い方をすれば、
 国の財政をギリギリと締め付けていくことになりかねない。


 国の財政的にも、
 延命は少なめにして、
 だんだん自然な死を受け入れることも大事じゃないかと、思う。

 


 でもね、
 その人が生きてるってことが、
 ただ心臓が動いてるだけでも、支えになることも、あるんです。



 病院で、
 回復の見込みの無い、超高齢者の患者さんのところに、
 同じように老いた配偶者や友達が、
 お見舞いに見えることが多々あります。

 老老介護、というヤツです。


 ※もちろん、家庭で介護を始めたらすぐ死んじゃうような重症の患者さんだから、
  介護じゃなくて、
  お見舞いなんですが。


 よろよろして、
 ご自分も杖ついてるような、腰の曲がった超高齢者が、
 寝たきりの家族をストレッチャーのままゴロゴロと散歩に連れ出し、
 返事も何も返ってこない、手足も動かせない相手に、
 話しかけ続ける。

 必死でストレッチャーを押し、
 「ほら、暖かくなってきたよ」
 「ほら、今日はいいお天気だよ」


 相手は表情も変えず、
 口を開けて、ただベッドに寝ているだけ。
 体を動かすどころか、目も動かせない。

 でもその相手を散歩に連れ出し、
 話しかけることが、生き甲斐になってる方がいるのなら、
 家族のために、
 その人は生きているべきなのかもしれない・・・

 どんなにチューブだらけになっても、 
 止まりそうになった心臓をショックで動かし、
 何度も延命のための手術を繰り返してでも、
 つなぎとめるべき命なのかもしれない。


 すごい不自然だけど。

 
 私ならそんな風になったら、
 もう、静かに死にたいけれど、
 「どんな姿でもとにかく生きていて欲しい」と願う家族もいる。

 何が正しいのかなぁ。

 答えを神様に聞けたらいいのに。
 答えがどこかに、あったらいいのに。

 人は、をずいぶんコントロールできるようになってしまった。

 それはまた、
 人に新たな悩みを生み出してしまったような気がしてなりません。

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