ワタクシが昨日、
自転車ドロボウや、落書き犯人は、
自分が同じことされたって、反省なんかしやしない。
なんて書いたからだろうか。
ご近所の自転車ドロボウが読んで、
怒ったんだろうか。
・・・アタクシの自転車が盗まれた。
正直、ショックでしばらく立ち上がれませんでしたし、
一日中、
ため息つきながら、
足を棒にして駅や店を探し回りまわり、
ムスコも疲れさせてしまいました。
私はもちろん、
「じゃあ、私もどこかで盗んでやれ♪」と思うこともできないし、
「しょーがないな、新しいの買おうかな♪」というお金も無い。
ものすごく、
ものすごく大事な自転車だったんですが、
犯人には、分かってるかしら・・・
こういう気持ち、
どうして分からない人間が多いのかしらね。
お店や駅前ならともかく、
アパートの前に停めてある、
子どもイスがついてるママチャリをね、
わざわざ盗むような人間に、
どんな経過をたどってなるのだろう。
昔から、
人のものを平気で盗る子どもだったんだろうか・・・
偏見にもなりかねないので、
こういう例を出すのはどうかとも思うのだけど、
以前、日本人にとても親切にされていた外国人労働者が、
帰国前に、世話になった人たちの家に空き巣に入っていったことがありました。
ところが、
その人と同じ立場の外国人労働者の方々が、
「当たり前ですよ」って言うんですよね。
日本人は、戦争のときにひどいことをして、
謝ってないじゃないですか。
だから、何をされても、怒る権利なんてないですよ
日本人から盗むのは、当然の権利です と。
( ̄(││) ̄)
・・・人の正義とは、さまざまです。
私の自転車を盗って行った人は、
どんなイイワケをするんでしょうか。
先回書いた、
「重力ピエロ」の中の落書き犯のようにに、
「本当に大事なら、ガードマンでもつけておけば?」
などと言うでしょうか。
それとも、
なんの言い訳もせず、
「自転車盗ったくらいで、何怒ってんの?」と、
キョトンとするのでしょうか。
重力ピエロ (新潮文庫) (2006/06) 伊坂 幸太郎 商品詳細を見る |
私は、因果応報を、あまり信じません。
自転車が盗られたと泣く私に、
ある知人がこう言いました。
「そんな犯人には、絶対、ひどい事故や病気が待ってるから!
絶対、ひどい目に遭うから!」
そう思わないとやっていられないときもありますが、
でも、私は思いたくありません。
悪いことやズルいことをしても、
何にもバチが当たらないで幸せに生きる人もいるし、
優しく、人のために一生懸命生きている人が、
理不尽な病気や苦しみに遭い、
犯罪で亡くなることだって、この世にはあるんです。
そして、
死後に裁きがあるのかどうかも、
生きている私たちには分かりません。
私は、
ものすごく弱い人間で、
自分にも甘いし、自己嫌悪のかたまりです。
だけど、ただ心に決めているのは、
理不尽でも、
報われなくても、
誰も認めてくれなくても、
誰も褒めてくれなくても、
人を傷つけて平気な人間にはりたくないということ。
天が知らずとも、
地が知らずとも、
子が知らずとも、
人が知らずとも、
私自身が、私のしてきたことを知っている。
自分が正義かどうかは、
誰にも分からない。
正しいと思ってやったことが、
本当は間違いかもしれない。
神様は教えてくれないから、
私は、私の正義に従って、今日も地道に生きていく。
誰かの役に立たずとも、
誰かの迷惑にはならない人でいたい。
そんな本日の、
悲しみに打ちひしがれる三十路。 il||li(つд-。)il||li
スポンサーサイト